小学1年生の男の子が、宿題の漢字ドリルに取り組んでいた時のこと。
この子は、普段は漢字の書き取りはとても順調。形が若干崩れていることもありますが、漢字自体は覚えている様子。
授業で習った漢字も、宿題のドリルも、特に困ることなく進められていました。
ところが、その日の宿題は少しだけ内容が違いました。
「漢字を書く」のではなく、漢字の読み仮名を書く問題。
ドリルを開いた瞬間、手が止まりました。
「なにこれ!どうやるの!?」
怒っているわけでも、やる気がないわけでもありません。
ただただ、混乱している様子。
そこで、こんなふうに声をかけました。
「この漢字の読み方を、括弧の中に書くんだよ」
すると、さっきまで曇っていた表情が一気に晴れて、
「そういうことかー。わかった!」
そのあとは、驚くほどスムーズ。
読み仮名も正しく書けて、特につまずくことはありませんでした。
困っていたのは「漢字」ではなかった
この姿を見て、改めて感じたことがあります。
それは、
授業の内容を理解していることと
問題が何を求めているかを理解していることは、別だということ。
この子は、漢字の読みを知らなかったわけではありません。
「今回は何を答える問題なのか」が、最初は見えなかっただけでした。
大人にとっては当たり前の問題も、
学び始めたばかりの子どもにとっては、まだ未知のもの。
「分からない」の正体が、
知識なのか
問題文の意味なのか
それともやり方なのか。
そこを見極めることが、とても大切だと感じました。
小さな戸惑いに気づくということ
子どもが見せる、ちょっとした戸惑い。
その表情や言葉の裏には、「助けて」「困ってるよ」のサインが隠れていることがあります。
詳しい説明をしなくても、
ほんの一言のアドバイスで、世界がぱっと開けることもあります。
「そういうことか!」
その一言を聞けたとき、
学びがちゃんと前に進んだことを実感します。
漢字ドリルをきっかけに生まれた、小さな出来事。
この出来事をとおして「何に困っているのかを考える大切さ」に、改めて気付くことができました。
